ねえ、聞いてくれる?
渋谷の地下のこと。確かめようのない話なんだけど……それでも、聞いてほしいの。
友達の友達から聞いた話なんだけどね。その人、夜中の一時過ぎに渋谷駅を使ってたんだって。終電ひとつ前の乗り換えで、地下通路をひとりで歩いてたらしくて。渋谷の地下って、わかる?再開発で通路がどんどん増えてって、壁が塞がれたと思ったら別の道ができて、もうどこがどこだかわからなくなるって言うじゃない。あの人も、もうここは何度も通ってるから大丈夫、って思ってたみたいなんだけど。
その夜は、なんか……空気が違ったって言うの。
地下特有のあの湿った匂いがあるじゃない、ちょっとコンクリートが蒸れたような。それがその夜はもっと重くて、古いっていうか……古い紙が濡れたみたいな匂いがしたって。変だな、とは思ったんだって。でも、急いでたから。
しばらく歩いてたら、見慣れない案内板が出てきたらしくて。白地に緑の文字の、ああいう駅の標識。でも、なんか色が褪せてて、フォントも微妙に古くて。「〇番出口→」って書いてあったんだけど、その番号がね、その人が知ってる渋谷の出口の番号と全部違うんだって。あれ、って思いながらも、なんか足が勝手についていってしまったって。
通路の幅が、少しずつ狭くなっていったらしいの。
蛍光灯もね、だんだん間隔が開いてきて、明るいところと暗いところが交互になって。足音だけが響いて。ヒールじゃなかったのに、なぜかコツコツって音が壁に跳ね返ってきたって言ってた。自分の足音じゃないみたいで、怖かったって。
で、突き当たりに出たんだって。
……改札があったって。
手動式の、古い改札。知ってる?昔の、バーが横に渡ってて、体で押して通るやつ。金属が錆びてオレンジ色になってて、なんか湿ってるのか、遠くからでも錆の匂いがしたって。薄暗い電球がひとつだけついてて、改札の向こうは通路が続いてて、奥が見えないくらい暗くて。
でも、その人が一番怖かったのはそこじゃなくて。
改札の横に、駅員が立つような小さなブースがあったんだって。ガラス張りの、古い木の枠のやつ。そこにね……人が座ってたって。
制服を着た人が、こっちに背中を向けて、座ってたって。
声をかけようとしたんだって。すみません、って。でも、声が出なかったって言ってた。その人が動かなくて、ちょうど電球の光が当たってて、制服の肩のあたりが見えたんだけど……肩が、揺れてたって。
揺れてたって。
一定のリズムで、小さく。前後に。
ゆっくりと、ゆっくりと。
その人、気づいたら走ってたらしくて。どこをどう走ったかわからないまま、気づいたら渋谷の地上に出てたって。夜中の、ハチ公前に。膝が震えてて、立ってられなかったって。
不思議なのはね、その後で渋谷駅の地図を全部調べたんだって、その人。地下の構内図も、工事中の仮設通路の図面も。でも、自分が歩いたあの通路がどこにも載ってなかったって。
そしてね……これが一番気になるんだけど。
渋谷で行方不明になった人の話、たまに聞くじゃない。駅で見かけたのを最後に消えた、って。あれ、全員、深夜に地下を歩いてたって言うの。
あの改札を通った人が、どこへ行くのか。
あの背中が揺れていた人が、何を待っているのか。
……誰も、教えてくれないんだって。