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七時十二分の空席

※ 창작 픽션. 지도의 소문과는 별개입니다.

毎朝、七時十二分発の急行電車に乗る。それが柏木雄介の十年来の習慣だった。会社まで四十分、乗り換えなし。混雑する都心路線の中で、この時間帯の三号車はそれほど込まず、窓際の席が一つか二つ空いていることが多い。柏木は毎朝おなじ場所に乗り込み、おなじ方向を向いて立ち、スマートフォンでニュースを流し読みしながら時間をつぶす。平凡な、しかし安定した朝だった。

その男に気づいたのは、たぶん春先のことだ。正確な日付は思い出せない。ただ、車内の暖房がまだ動いていて、それが少し暑いと感じた日だったような気がする。男は四十代前後だろうか、グレーのスーツに焦げ茶色のビジネスバッグを持ち、ドアの近くの手すりにつかまって立っていた。特徴というほどの特徴はない。強いて言えば目が細く、視線をどこか遠くの一点に固定させているような印象があった。柏木は別段気に留めず、その日も目的の駅で降りた。

だが翌朝も、その男はいた。おなじ場所に、おなじ姿勢で。その次の日も。やがて柏木は、意識しないうちにその男を「毎朝乗る人」として認識するようになっていた。通勤電車にはそういう「常連」がいる。いつも同じ時間に同じ場所にいる、名前も職業も知らない他人。都市生活が作り出す、奇妙な匿名の親密さだ。ある朝、男が珍しく咳をしているのを見て、柏木は心の中で「風邪でも引いたのかな」と思った。声をかけることはしなかったが、その男の存在は柏木の日常の一部に静かに組み込まれていた。

男がいなくなったのは、梅雨が明けた週の月曜日だった。柏木はいつものように七時十二分発の電車に乗り、男がいつも立っている位置を何気なく見た。そこは空いていた。翌日も、またその次の日も。柏木は最初、男が転勤か何かで路線が変わったのだろうと思った。しかしなぜか、その「空席」が妙に目について離れなかった。男がいた場所には今、誰もいないか、まったく別の乗客が立っている。当然のことのはずなのに、柏木にはそこだけ空気が薄いように感じられた。

一週間が過ぎた。柏木は同じ路線を利用する同僚の三宅に、何となくその話をしてみた。三宅も同じ時間帯の電車に乗る。「グレーのスーツで、目が細い男性、いなかった?いつもドアのそばに立ってた人」。三宅は少し考えてから首を横に振った。「うーん、思い当たらないな。そういう人いたっけ」。記憶にない、というより、まるで話の前提が伝わっていないような顔をされた。柏木は少し戸惑ったが、通勤客など気に留めないのが普通だと自分に言い聞かせ、それ以上は追わなかった。

それでも引っかかりは消えなかった。柏木はある夜、自分のスマートフォンのカメラロールを遡ってみた。通勤中に撮った写真など滅多にないが、三月に沿線の桜を撮った画像が何枚かある。あの春先、男に気づいたのもちょうどそのころだった。桜の写真を開くと、バックに車内の様子が少しだけ写り込んでいた。柏木は拡大した。ドアの近く、手すりのあたり。そこには確かに人が立っているが、ピントが合っておらず、グレーのスーツらしき色彩が滲んでいる。顔は判別できない。柏木は何度もピンチアウトしたが、どれだけ拡大しても像は崩れるばかりで、男だと断定できるものは何も残らなかった。

翌週、柏木は思い切って、同じ時間帯の常連らしき乗客に声をかけてみることにした。毎朝文庫本を読んでいる五十代くらいの女性だ。不審に思われないよう、できるだけ自然に、「以前このあたりによく立っていた方、最近見かけないんですが」と話しかけた。女性は本から目を上げ、柏木の指さした方向を見た。「さあ……特に思い当たりませんけど」。そう言ったきり、また本に目を落とした。柏木が礼を言って離れようとすると、女性が顔を上げずに一言付け加えた。「でも、なんかそのあたり、ちょっと空気が冷たいですよね。夏なのに」。

柏木はその夜、当時の自分のSNSの投稿を洗い直した。通勤電車について書いたものは?特にない。しかし他のユーザーが同じ路線・同じ時間帯について書いたものを検索すると、いくつかのポストが引っかかった。「三号車の怖い顔した人、毎朝いるよね」「あのグレースーツの人、なんか目が怖い」。そういう内容が、春先のものとして二件ほど存在した。柏木はほっとした。自分の記憶は確かだった。だが投稿者のアカウントを開くと、どちらも「このアカウントは存在しません」という表示が出た。削除されたのか、もともと存在しなかったのか。柏木にはわからなかった。

八月の終わり、柏木は意を決して鉄道会社の案内窓口に問い合わせた。「防犯カメラの映像を確認してもらいたい乗客がいる」と言うには具体的な理由が必要で、柏木は言葉に詰まったが、とにかく「春から夏にかけて、この時間帯に同じ人物が毎日乗っていたはずなので確認できないか」と伝えた。窓口の担当者は丁寧に、しかし明確に断った。「防犯カメラの映像は、事件・事故等の正当な理由がなければ開示できません」。柏木は「消えた」という言葉を使わなかった。使えなかった。使えば自分がおかしな人間に聞こえると知っていたから。

九月になった。柏木は今もおなじ電車に乗っている。七時十二分発、三号車。男がいた場所はいつも少しだけ空いているように見える。混んでいる日でも、そこだけ誰も立たないことが多い。気のせいかもしれない。柏木はそう思おうとしている。しかしある朝、ふとその場所を見ると、グレーのスーツの男がいた。柏木は心臓が止まりそうになった。男はいつもと同じ姿勢で、手すりにつかまり、どこか遠い一点を見つめている。生きているのか、幻なのか、柏木には判断できなかった。

柏木はゆっくりと男に近づいた。声をかけようとして、口を開いた。男がわずかに顔を向けた。目が合った、と柏木は思った。細い目が、柏木の顔のすこし後ろのあたりに焦点を当てていた。電車がトンネルに入り、窓が真っ暗になった。柏木は一瞬、自分の顔が窓ガラスに映るのを見た。その隣には誰もいなかった。トンネルを抜けると男はいなかった。手すりだけが、誰にも握られることなく揺れていた。

柏木は次の駅で電車を降りた。会社まであと二駅あったが、歩いた。歩きながら、自分がその男を何ヶ月間見ていたかを改めて数えた。ぼんやりとした記憶をたぐり寄せると、最初に気づいたのは桜の季節で、消えたのは梅雨明けで、そして今日、また現れた。そこまで考えて、柏木はある事実に気づき、足が止まった。自分は男の顔を、一度もはっきりと見たことがなかった。毎朝おなじ場所にいたはずの男の顔が、どれだけ思い出そうとしても浮かんでこない。特徴だと思っていた「細い目」でさえ、本当に見たのか、誰かのことを想像して補ったのかが、もうわからなかった。

翌朝、柏木は七時十二分発の電車に乗った。習慣というのは、恐怖より強い。三号車に乗り込み、スマートフォンを取り出し、ニュースを流し読みした。男がいた場所には、今日は誰かが立っていた。四十代くらい、グレーのスーツ、焦げ茶色のバッグ。柏木はその人物を見た。見て、視線を外し、また見た。その人物は遠くの一点を見つめていた。柏木は自分が今、何を見ているのかわからなくなった。おなじ男なのか、別の人間なのか、それとも自分の記憶が作り出した残像なのか。電車は走り続け、車内アナウンスが次の駅名を告げた。柏木は黙って、スマートフォンの画面に目を落とした。

Kaidan 괴담 소설 읽는 재미가 있는 창작 괴담.
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