大気光学現象
たいきこうがくげんしょう
空は嘘をつく——光が曲がるたびに、世界の輪郭が少しずつ狂っていく。
晴れた空の縁に、あるはずのない太陽が二つ並んでいるとされる。幻日(げんじつ)と呼ばれるその光は、高層の氷晶が作り出す鏡像に過ぎないと科学は説明する。しかし古い記録の中では、双子の太陽は凶兆の印として恐れられてきたとも伝わっている。
地平線の向こうに浮かぶ逆さまの街——蜃気楼の一種である上位蜃気楼は、実在する風景を大気の層が歪め、あり得ない場所へと投影する。不知火(しらぬい)もまたその仲間とされ、九州沿岸では今も夏の夜に海上を漂う光の列が目撃されることがあるという。漁師たちはそれを何世紀にもわたって語り継いできた。
ブロッケン現象では、霧の中に自分自身の影が巨大な光輪に包まれて映し出されるとされる。「ブロッケンの妖怪」という名で呼ばれるその姿は、山岳地帯で遭難者が「何者かに追われた」と証言した体験と、しばしば結びつけて語られてきた。
夕暮れ直前、太陽が水平線に沈む瞬間、緑色の閃光が一瞬だけ現れることがあるとされる。グリーンフラッシュと呼ばれるその現象は、条件が揃わなければ生涯に一度も見られないとも言われ、かつての船乗りたちは「死者の魂が最後に発する光」だと囁き合ったという。
薄明光線——いわゆる「天使の梯子」は、雲の切れ間から光の柱が地上へと降り注ぐように見える現象だ。その対として、空の反対側に収束するように見える反薄明光線(はんはくめいこうせん)が存在するとされるが、気づく者は少ない。光が向かう先に何があるのか、誰も確かめていない。
大気光学現象のすべては、物理の法則で記述できると現代科学は言う。だが、なぜ人は虹の端を追い、幻日に足を止め、蜃気楼の街を目で探し続けるのか——空が見せるものが「ただの光の屈折」であるなら、それほど深く人の心を揺さぶるのはなぜなのだろう。
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