ねえ、聞いてくれる?
日光の話なんだけど……華厳の滝、知ってるよね。あの、ざあっと白く落ちていく、あの滝。
これ、友達の友達から聞いた話だから、どこまで本当かはわからないんだけど……去年の秋、二十代の男の子がひとりで日光に行ったんだって。カメラが好きな子で、紅葉の時期の滝を撮りたくて、わざわざ平日に休みを取って行ったらしいの。
エレベーターで観瀑台まで降りたとき、もう夕方近かったって言うんだよね。他の観光客はほとんど引けていて、滝の前にはほぼ誰もいなかった。十月の日光、日が落ちるのが早くてさ、辺りがもう薄暗くなり始めてた。
滝の音って、間近で聞くとすごいでしょ。ただの「ざあ」とか「どーん」じゃなくて、空気ごと震えるような音が体の中に入ってくる感じで、耳の奥がじんじんするんだって。彼はその音が好きで、しばらくカメラを構えずにただ聞いていたらしい。
そのうちにシャッターを切り始めて、角度を変えながら何枚か撮って。もう上がろうかなって、最後にもう一度だけシャッターを押した、そのときだって。
滝の音のなかに、何かが混じった気がしたって。
最初は空耳だと思ったんだって。でも……耳をすますと、あった。滝の音の、すぐ下のところに。うー、うーって。人の声みたいなものが。
息を呑んで、滝壺のほうを見たけど、何もない。白い飛沫と、黒い水だけ。でも声は消えなかった。むしろ、だんだんはっきりしてきて……そのうち彼は気づいてしまったんだって。その声が、自分の名前を呼んでいることに。
苗字じゃなくて、下の名前。しかも、呼び方が……お母さんが小さい頃に呼んでたのと、同じだったって。
怖くて、足がすくんで、その場から動けなかったらしい。声は止まらなくて、でも振り向いてはいけない気がして、ただ滝を見つめていたって。ほんの一、二分のことだったと思うんだけど、彼にはずっと長く感じられたって言ってた。
なんとか我に返って、そのまま走るようにエレベーターに乗って帰ったんだって。
でね、家に戻ってから写真を確認したときに……また、おかしなことがあったんだよね。最後の一枚、上がろうとして撮った、あの一枚。滝の飛沫が白く広がってるだけのはずの写真なんだけど。飛沫の、ちょうど真ん中あたりに、人の顔みたいなものが写ってたんだって。
ぼんやりとじゃなくて、わりとはっきりと。
目が、開いてたって。
口も少し開いてて……苦しそうな顔、というより、何かを言おうとしている顔に見えたって。
彼、その写真、消したらしいの。でも……消す直前にちゃんと見てしまったって言ってた。顔の向き、滝壺を向いてなかったって。カメラのほうを、こっちを、見ていたって。
華厳の滝は今も、あの音を立てて落ち続けてる。
その音の下に、何が混じっているのかは……行ってみないと、わからないのかもしれない。
でも、自分の名前で呼ばれたとき、返事をしてはいけないって、彼は言ってたよ。なんとなく、そう思ったって。
……なんとなく、ね。