ねえ、聞いてくれる?
祇園のお話なんだけど。確かめたわけじゃないから、ほんとうにただ聞いた話として受け取ってほしいんだけどね。
あの辺の古いお茶屋さんとか料亭って、何百年もの時間が染み込んでいるでしょう。軒を連ねる格子戸、石畳、夜になると提灯がぼんやり灯って……ああいう場所って、昼間とはまるで別の顔を持ってるって言うじゃない。それはただの雰囲気の話じゃなくて、もっとずっと、文字通りの話だったみたいなの。
ある芸妓さんが、先輩から聞かされた話だって言うんだけど。
その人がまだ若い頃、お座敷に呼ばれて、とある古いお茶屋に上がったんですって。お客さんも数人、お酒も入って、賑やかな宴席だったって。で、夜もだいぶ更けた頃、その芸妓さんがちょっと席を外そうとして、立ち上がった拍子に、畳の端を踏んだらしいの。
そしたらね。
ずれたんですって。畳が、ほんの少し。
みんな笑い声が止まったって言ってた。あの場が、急にしんとなって。
で、その芸妓さんが、膝をついて畳の縁に指をかけたら、するっと持ち上がったんですって。そこから、冷たい空気がふわっと上がってきたって。真夏の夜だったのに、冬の朝みたいな冷気が。それとね、水の音。ぽちゃ、ぽちゃって言うんじゃなくて、もっと遠くて、もっと低い……何かが揺れてるような音が、暗い下のほうからずっと聞こえてたって。
井戸だったの。
お座敷の真ん中の、畳の下に。
覗き込んだお客のひとりが、ぼそっと言ったんですって。「……石積みが古い。相当古いぞ、これ」って。懐中電灯で照らしても、底は見えなかったって。光が吸い込まれるみたいに、途中から消えてしまったんですって。
なんでそんな場所に井戸があるのか、お茶屋の女将さんに聞いたら、「さあ……うちに来た時からありましたから」とだけ言ったそうで。それ以上は何も教えてもらえなかったって。火事の時の水を確保するためだったとか、昔の建物にはよくあることだとか、そういう話も聞くけど、でも、お座敷の床下なんて、そんな場所に隠す必要なんてないでしょう? ねえ。
それからしばらく経って、別の話も流れてきてね。
祇園の別の場所、ちょっと奥まった路地の料亭で改装工事があった時に、押し入れを壊したら奥から井戸が出てきたって。使われていない井戸で、石の縁は苔むして、木の蓋が打ち付けてあったって。大工さんが蓋を外そうとしたら、棟梁が「触るな」って止めたんですって。なんで、って聞いたら、「打ち付けてある向きが違う」って言ったらしくて。
蓋が、内側から釘を打たれてたんですって。
……上から閉じ込めるんじゃなくて、下から開かないように。
大工さんたちはその日、仕事を早上がりしたって聞いたわ。
その井戸がどうなったのか、今も蓋のまま壁に塗り込められてるのか、それとも……どうなったのか、そこまでは聞けてないんだけど。
ただね、祇園をあの石畳の細い路地を歩く時、ふと思うの。
あの格子戸の向こう、あの座敷の畳の下で、今夜も何かがじっと、揺れてるんじゃないかって。
冷たい水の底で、ずっと待ちながら。