さて、今日お話しするのは……浅草のお話でございます。
浅草寺からほんの少し、歩いて五分もかからないところに、花川戸公園という小さな公園がありましてね。地元の方はご存知かと思いますが、あそこに人工の池がひとつ、ぽつんと作られている。姥ヶ池、と申します。
まあ、昼間に見れば何ということもない、どこにでもあるような公園の池です。鯉が泳いでいたりもするそうで。
ただ……あそこに立っている石碑には、少しばかりいわくがありまして。
聞いた話なんですけどね、今から随分と昔のことだそうです。あの辺り一帯はまだ「浅茅ヶ原」と呼ばれていた、湿地だったそうで。葦がざわざわと揺れるばかりの、人気のない荒れ地だったらしい。そこに一軒だけ、あばら家があったんだって。
そこに老婆がひとり、住んでいたと。
旅人を泊める宿として看板を出していたらしいんですね。浅草寺に参る人間が道に迷うと、その灯りを見つけて立ち寄る。老婆はにこにこと愛想よく迎えて、食事を出して、床を敷いて、旅の疲れを癒してやる。
……で、旅人が深く寝入ったころを見計らって。
大きな石を、頭の上に、落とす。
聞いたところによれば、その数、九百九十九人に及んだとか。確かめようもない話ですけれど、まあ、そういう話だって言われているんです。
ところがある夜のことです。老婆の娘が、ひとりの若い旅人を連れてきた。ふたりはどうやら、道すがら恋仲になっていたらしい。娘は若者を家に連れ込んで、母親に紹介した。
老婆は、笑って迎えたそうです。
夜が更けて、若者が眠りにつく。老婆が石を抱えて、近づいてゆく。
その時、娘が身を投じたんですね。若者をかばって。
……石は、娘の頭に落ちた。
老婆は、その場で固まったそうです。自分が何をしてしまったか、わかったんでしょうね。九百九十九人の命を奪ってきた手が、今度は我が子を。
翌朝、老婆はひとりで近くの池へ歩いていって、そのまま身を投げたんだと。
誰かが見ていたわけでもないし、そういう話が伝わってきたってだけなんですけど。
それからその池のことを、姥ヶ池と呼ぶようになったって言われています。
ここまでだと、まあ昔話ですよね。供養の石碑が立って、公園になって、それで終わり。
ただ……ちょっと気になる話を、ある人から聞きましてね。
その人、仕事帰りに花川戸公園の前を通ることが多かったそうなんです。夜の十一時、十二時ごろ。
ある晩、池のそばを通りかかったとき、水面に向かってしゃがんでいる人影があったと。暗いからよく見えないんだけど、老いた女のように見えた。白っぽいものを纏っていて、じっと水を覗き込んでいる。
声をかけようか、どうしようか迷っているうちに、横を通り過ぎたんですね。
そのとき、ふと鼻をついたんだそうです。
土の匂い、ではなくて。もっとこう……湿った、重たい匂い。生臭いとも違う、腐りかけた葦でも嗅いでいるような、底のほうから漂ってくる匂いが。
気味が悪くて、振り返らずに早足で帰ったって言っていました。
翌日、昼間にもう一度その場所を通ってみたそうなんですね。石碑の前に立って、何気なく水面を眺めていたら、石碑の台座のあたりに、何か刻まれているのが目に入った。
よく見ると、正の字でした。
五画、五画、五画……びっしりと、何十もの正の字が、石の隅に彫り込まれていた。
観光案内にも、解説板にも、そんなことは書いていない。いつ誰が刻んだのか、何を数えていたのか、誰も知らないんだそうで。
まあ、確かめに行くかどうかは、みなさんにお任せします。
ただひとつだけ。
あの老婆は九百九十九人で、やめたわけじゃあないんですよね。