
八咫鏡
やたのかがみ
誰も見た者がなく、見た者は語らない——それでも鏡は、ずっとそこにある。
高天原の神々が天の安河の岸に集い、川上の堅石を金床として打ち鍛えたと伝わる。鉄と意志と神気から生まれたその鏡は、天照大御神が岩戸に籠もる闇の中、外へと神を引き戻すための「誘い」として用いられた。映すためではなく、引き寄せるために造られた鏡——そう考えると、その用途は今も変わっていないのかもしれない。
「八咫(やた)」とは、ただ「大きい」「あまた」を意味する古い形容に過ぎないともいう。しかし円周を計算すれば直径46センチ余り、円周は約147センチ——弥生晩期の平原遺跡から出土した大型花文鏡と寸分違わぬ数値が浮かび上がる。遺跡と神話が静かに重なるとき、学術の言葉もどこか震えを帯びる。
現在、鏡は二つ存在するとされる。伊勢の内宮の奥深くに鎮まる御神体と、皇居に置かれた「形代」——御神体を模して作られた写しである。いずれも公開されたことはない。明治天皇が一度だけ天覧したのち、再び奥へ奉納されたと記録にある。見た者が何を感じたかは、一切残されていない。
内宮はかつて幾度かの火災に見舞われたと伝わる。考古学者・原田大六はその記録を丹念に読み解き、「現存する八咫鏡は焼失後に新たに作り直されたものではないか」と著書に記した。もし本当にそうならば、今そこにあるのは「始まりの鏡」ではなく、失われた何かの「写し」ということになる——形代を模した形代、鏡に映る鏡。
別名を「真経津鏡(まふつのかがみ)」ともいう。「まふつ」の語義は今も定まらない。「真」は純粋を、「経津」は言霊の力を指すとも、あるいは「魂を経る(通過させる)もの」とも解釈される。鏡が何を映しているのかではなく、鏡が何を通しているのか——その問いに答えられる者は、いまだ現れていない。
出典: 八咫鏡 — ウィキペディア(ja.wikipedia.org)。 当サイトが翻案・再構成。ライセンス CC BY-SA 4.0.