鵺
ぬえ
その声を聞いた者は、翌朝から原因不明の病に伏したという。
猿の面、虎の肢、蛇の尾——どの文献を開いても、その輪郭はわずかにずれている。胴が狸であるとも虎であるとも記され、あるいは頭が猫で身が鶏であったとも伝わる。複数の獣を縫い合わせたような姿は、まるで「定まった形を持つことを拒んでいる」かのようだ。
鵺が世に現れるのは、いつも乱世の気配が満ちる夜である。平安末期の宮中、南北朝の動乱期、幕府の権威が揺らぐたびに諸記録の頁へ忍び込んでくる。歴史書、貴族の日記、軍記物——いずれも「その夜、鵺が鳴いた」と静かに書き留めるばかりで、正体には触れない。
声はトラツグミに似た「ヒョーヒョー」という調べだと言われる。ただし聴いた者の証言はどれも微妙に食い違い、ある者は笛のようだと言い、またある者は嗚咽のようだと言った。宮中の屋根の上から響いてくるその音は、深夜の静寂をひび割れさせ、翌朝には必ず誰かが床に就いたという。
源頼政が帝の命を受けてこれを射落とした話は『平家物語』に英雄譚として刻まれているが、退治されたはずの鵺はその後も記録に浮かびあがり続ける。1333年の紫宸殿、1774年の京都御所——時代を越えて同じ声が響くのは、射落とされたのが本体ではなかったからか、それとも鵺とは特定の一体ではなく、世の歪みが結晶した何かであるからか。
今もその名は「正体のわからないもの」の比喩として使われる。姿が定まらず、声だけが先に届き、時代の不安を映して現れる——鵺はいまだ図鑑の枠に収まりきらない。
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出典: 鵺 — ウィキペディア(ja.wikipedia.org)。 当サイトが翻案・再構成。ライセンス CC BY-SA 4.0.