雄別炭鉱廃墟
ゆうべつたんこうはいきょ
携帯も繋がらぬ国有林の奥、かつて数千人が息づいた町は、今や沈黙だけを産出し続けている。
北海道釧路市の山間、舌辛川の流れに沿って、雄別炭鉱はかつて三菱財閥の黒いダイヤを掘り続けた。大正八年の創業以来、昭和三十九年の最大出炭を頂点として、数千の人々がこの谷に根を張り、炭鉱町としての生を全うした。
昭和三十年十一月、坑内でガス爆発が起き、多くの命が地の底に飲まれたとされる。昭和天皇・香淳皇后から花料が贈られた合同慰霊祭の記憶は、廃墟の壁にひっそりと染み込んでいるかのようだ。
エネルギー革命の波と、昭和四十四年の坑内爆発事故が重なり、翌年二月、突然の閉山が告げられた。三千七百余人の作業員とその家族は職を失い、企業城下町は一夜にして無人の廃墟へと変じた。人の気配が消えた後も、病院をはじめとする建物はそのまま残され、今も朽ちながら佇んでいるとされる。
廃墟を訪れた者たちの間では、かつてそこに生きた人々の残像のようなものを感じたという証言が囁かれている。何かが聞こえた、人影を見たと語る者もいるというが、真偽は定かではない。ヒグマの生息地でもあるこの森が見せる幻か、あるいは別の何かなのか、判然としない。
周辺は国有林であり、入林には許可が必要である。無断立入は厳に慎まれたい——それは法律上の問題であると同時に、この場所が帯びる重さへの礼儀でもあろう。平成十九年には近代化遺産として認定され、保存を求める声も上がっているが、静寂の中で廃墟は問いかけ続けている。
坑道の暗がりに消えた声たちは、果たして本当に去ったのか。それとも、入林者のない山の奥で、今もどこかをさまよっているのだろうか。
場所
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出典: 雄別炭鉱 — ウィキペディア(ja.wikipedia.org)。 当サイトが翻案・再構成。ライセンス CC BY-SA 4.0.