
化け猫
ばけねこ
行灯の油が減っていたなら、それは鼠のせいではないかもしれない。
人の傍らに寄り添いながら、決して人に飼いならされることのなかった獣——猫が長い年月を経るか、あるいは深い怨みを抱くとき、その毛並みの奥に異形の何かが宿ると囁かれてきた。茨城や長野では十二年、沖縄北部では十三年。飼い主たちはあらかじめ「この猫は何年で手放す」と約定を口にしたという。年数を決めておかねば、いつか猫の方が決めてしまうからだと。
瞳孔は刻によって細く、あるいは丸く開く。暗がりで撫でれば背が青白く光る。足音もなく部屋を横切り、温順の仮面の下に野性の刃を隠す——こうした猫の性質こそが、人々の想像の中で妖怪の輪郭を描いた。犬のように制御できない、しかし犬よりも近しい。その距離感の不気味さが、化け猫という概念を育てた土壌である。
江戸の夜、行灯の魚油を舐めるために二本足で立ち上がる猫の影が、障子に映ったとき——それを見た者は翌朝、口をつぐんだという。『和漢三才図会』にも記される通り、油を舐める行為は怪異の前兆とされた。空腹と本能が生んだ行動が、そのまま呪いの兆しとして語り継がれた。
佐賀・鍋島の騒動、有馬の騒動。これらは創作ではなく、実際の事件を下敷きにした伝承である。残忍に殺された猫が、怨みを持って人間へ祟るという話は老猫に限らない。殺し方が残酷であればあるほど、その猫は強い執念とともに戻ってくると信じられた。
江戸の遊廓では、猫の妖艶さと遊女のイメージが溶け合い「化猫遊女」という異形の美が草双紙の中で生まれた。神秘と色気と危うさ——それらすべてを一身に纏う存在として、化け猫は都市の闇に棲み続けた。
今も、長く飼われた猫が夜中に姿を消し、翌朝何事もなかったように戻ってくることがある。どこへ行っていたのか、誰も問わない方がいいと、古い家の人々は知っている。
出典: 化け猫 — ウィキペディア(ja.wikipedia.org)。 当サイトが翻案・再構成。ライセンス CC BY-SA 4.0.