ねえ、聞いてる?
上野駅の話なんだけど。13番線のホームにある女子トイレ、あそこに変な女の人が出るって、ずっと前から噂があるらしいのよ。
以前、会社が上野にあった知人から聞いた話なんだけど……確かめようがないし、本当かどうかは、わからないんだけどね。
その人、帰りにいつも13番線のトイレを使ってたんだって。ホームの端の方にある、古い感じのやつ。夕方の混んでる時間帯、化粧直しとか、そういう用で何度も使ってたって言ってた。
で、ある日。洗面台の前に立ったら、隣の鏡に映ってたのよ。六十代くらいの女の人が。小柄で、背中が少し丸くて、コートの色は——くすんだ紺色だったって。
その人が、ぶつぶつ、ぶつぶつ、何か言いながら、自分の白髪を……むしってたんだって。
指で、根元から。一本、また一本。
洗面台の縁には、すでに何本か落ちてたらしい。白くて細い髪が、ちいさな束になって。
知人はぎょっとして、思わず周りを見回したんだって。帰宅ラッシュで人はいたはずなのに、なんでか、その女の人の半径一メートルくらいだけ、すうっと人がいなくなってたって。みんな無意識に避けてるみたいに。近づかないように、見ないようにしながら、でも誰も何も言わずに通り過ぎてく。
女の人はずっと呟いてた。何を言ってるのかは聞こえなかったけど、口の動きが……同じ言葉を、繰り返し繰り返し、ずっと繰り返してるように見えたって。
知人はそそくさと出て行ったんだけど、数日後、また同じトイレに入ったら——いたんだって、また。
同じ場所に。同じ姿勢で。同じように髪をむしりながら。
そのときは鏡越しに目が合ったって。女の人の目が、ふっと動いて、知人の顔を映したって。
表情は、なかったらしい。笑ってるわけでも、怒ってるわけでもなく、ただ——ぼんやりと、こっちを見てた。でも口はずっと動いてた。同じ言葉を。止まらずに。
さすがに怖くなって、駅員に話したんだって。そしたら駅員さん、全然驚かなかったって。「ああ、あのおばあさんですね」って、慣れた感じで。「誰かに危害を加えるわけじゃないので、大丈夫ですよ」って。
……大丈夫、って何が大丈夫なのかは、教えてもらえなかったらしいんだけど。
後になって、誰かから聞いた話では——その女の人、一人息子を電車の事故で亡くしてから、おかしくなったんだって。それから毎日上野駅に来て、息子に会うためのまじないをしてたんだって。髪をむしるのも、呟き続けるのも、全部、そのためだったって。
息子に、もう一度会うために。
……でも、知人がしばらく上野を離れて、また戻ってきたとき。あの女の人は、もういなかったって。ある日突然、来なくなったって。
駅員に聞いたら、「ああ」って言って、それだけだったって。
それだけ、だったって。
ねえ……あの女の人が毎日繰り返してた言葉、何だったんだろうね。
鏡の中で、ずっと、口だけ動かしながら。
会えたのかな。息子に。
それとも——