……少し、聞いてくださいますか。
金沢の乙丸陸橋のことを、近頃ちらほら耳にするのです。確かめたわけではございませんが、何人かから似たような話を聞いておりまして……語らぬのも、どうかと思いまして。
あそこの橋桁、ご存知でしょうか。兼六園のことじ灯籠を模した形をしておりまして、昼間に見れば、なかなか風情のある造りなのだそうです。石灯籠のような脚が二本、ゆったりと踏ん張って、橋を支えている。市内でも珍しい形だと、地元の方は仰るとか。
ただ、夜になると、あの形がどうにも違って見えてくるらしいのです。
これはつい最近、私の知り合いの知り合いから聞いた話なのですが……その方、名前は伏せておきますが、三十代の男性で、夜遅く仕事帰りに乙丸陸橋を渡ることが何度かあったそうで。
ある秋の夜のことだったといいます。十一時を少し回った頃、あたりにはもう人影もなく、陸橋の上に一人で立っておられた。下には北陸新幹線の高架と、JRの線路が交差していて、ときおり列車が通るたびに橋全体がうっすら震える。その振動が、足の裏からじんわりと伝わってくるのだと。
その夜も、遠くから列車の音が近づいてきて、橋がかすかに揺れた。
その揺れが収まった瞬間のことです。
……声が聞こえたというのです。
囁き声のようなものが、すぐ耳のそばで。
ひとつではなく、複数の声が重なって、何かを話している。しかし内容が聞き取れない。日本語なのか、そうでないのかもわからない。ただ、確かに人の声の質をしている。低く、湿っていて、まるで口元を耳に寄せられているような近さで。
慌てて振り返っても、誰もいない。
橋の上には自分一人きりで、欄干の向こうには夜の空と、線路と、遠くの街灯りだけ。
不思議に思いながらも、気のせいだろうと歩き出したそうです。
ところが、橋の半ばあたりまで来たとき、欄干の外側、橋の脚のあたりに、何かが見えたというのです。
最初は影かと思ったそうで。あの灯籠の形をした橋桁の、ちょうど付け根のあたり、橋の外側に張り出した部分。そこに、人が立っているように見えた。
下を向いていた、と仰っていました。
うつむいて、じっとしている。ぼんやりとした輪郭で、男なのか女なのかもわからない。ただ、立っているとしか言いようのない佇まいで。
その方、欄干から身を乗り出して確かめようとしたそうです。
……そのとき、その人影がゆっくりと顔を上げたというのです。
顔は、見えなかった。暗くて、あるいは顔がなかったのか、ともかく顔の部分だけが、のっぺりと暗かった。ただ、こちらを向いた、ということだけは、はっきりとわかった。
その方はそのまま走って橋を渡り切ったそうで、翌日から別の道を使うようになったと聞きます。
なぜあの場所にそのようなものが集まるのか、私にはわかりかねます。鉄路と鉄路が交差する場所というのは、古来より何かと気が乱れやすいとも申しますし……あの橋の形が、何かを招くのかもしれない、と思わないでもないのですが。
ただ、ひとつだけ気になることがございまして。
その方が走り去る直前、橋の上に濡れた土の匂いがした、と仰っていたのです。晴れた夜で、雨など降っていなかったのに。墓の土のような、と、そう表現しておられました。
……あの橋桁の下に、一体何が立っていたのか。
今もきっと、列車が通るたびに、橋は震えているのでしょう。