これはですね、ある人から聞いた話でして、確かなことは申し上げられないんですが……聞いていただければと思います。
青森の、山の奥の話です。
地図に載っていない村がある、と。そういう噂を、聞いたことがおありでしょうか。杉沢村、と呼ばれている場所なんですが。現在の地名で言いますと、青森空港のそう遠くない、小畑沢小杉のあたりだ、とも言われているらしいんですが、実際どこなのかは、行った者にしかわからない、とも聞いています。
その村でですね、昔、ひとりの男が発狂した、というんですね。
突然に、です。理由は誰も知らない。前の日まで普通に暮らしていたその男が、ある朝、斧を手に取って、村人を端から端まで、ひとり残らず殺した、というんです。子も老いも関係なく。そのあと男も自ら命を絶って、村には誰もいなくなった。
以来、村は廃墟になって、地図からも消された。そういう話です。
まあ、それだけなら、昔あった悲劇だ、で済む話なんですが、問題は、その場所に、今でも何かが残っているらしい、ということでして。
数年前に、私の知り合いの、そのまた知り合いというんですが、三人の若い男たちが、面白半分で、その杉沢村を探しに行ったそうなんです。夏の終わりの夜で、涼しくなりかけた頃だったと聞いています。
山道を車で進んでいくと、舗装が途切れて、砂利になって、そのうち砂利も消えて、ただの獣道みたいになった、と。そこで車を降りて、懐中電灯一本で歩き始めたそうです。
しばらく行くと、古びた鳥居が立っていたそうで。木造の、塗りがほとんど剥げ落ちた、ひどく古い鳥居です。その根元にですね、石が置いてあった、と。丸みのある、人の頭ほどの大きさの岩で、目のように窪んだ穴がふたつ、こちらを向いていた、と言うんですね。そういう形の自然石なのか、誰かが削ったのか、それはわからない、と。
三人は鳥居をくぐった。
少し進んだところに、板切れに文字を書いた看板があったそうです。「ここから先へ立ち入る者、命の保証はない」と。字は手書きで、雨に滲んで、でも読めた、と。
普通ならそこで引き返しますよね。でも若い男たちというのは、そういうものを見ると逆に足が進んでしまうことがある。三人はそのまま奥へ入って行ったそうです。
廃屋が、いくつかあったそうで。屋根が落ちて、壁だけ残っているような建物が、草に埋もれてぽつぽつと。懐中電灯で照らすと、崩れた柱の影が伸びて、なんとも言いようのない気持ちになった、とひとりが後で言っていたそうです。湿った腐葉土の匂いが、ずっと鼻の奥にへばりついていた、とも。
そのとき。
三人の中の、一番後ろを歩いていた男が、急に立ち止まったそうです。
前のふたりが気づいて振り向くと、その男は懐中電灯を左手の廃屋に向けたまま、動かない。声もない。
何を見ているのかと近づいてみると、廃屋の中に、人が立っていた、というんですね。
懐中電灯の光の中に、人影がある。
背の低い、子供ほどの大きさの、でも子供にしては頭が大きすぎる、そういうものが、壊れた壁の向こうで、こちらを向いて、ただ立っている。
三人は走って逃げたそうです。鳥居まで戻って、車まで戻って、そのまま山を下りた。
後日、その男たちのひとりが、ふと気になって、写真を撮っていたデジカメを確認したそうです。廃屋を映したカットです。
人影は、映っていなかった、と。
ただ、壊れた壁の前に、子供の手のひらほどの大きさの、靴のようなものが、片方だけ、落ちていた、と。
それが何の靴だったのか、聞いてもその男は教えてくれなかった、と言うんですね。
それ以来、その男は、夜中に起き上がって、自分の手をじっと見ていることがある、と奥さんから聞いた、ということでした。
理由は、わからない、と。