……少し、聞いていただけますか。
確かなことは申せません。ただ、この社に仕えておりますと、折々にそういうお話が耳に入ってくるのでございます。どこそこで見た、誰それから聞いた、と。そのひとつを、今夜はお伝えしようと思います。
大安寺の、少し東へ入ったあたりのことだそうです。白毫寺へ続く古い道、ご存じでしょうか。昼間でも木々が重なり合って薄暗い、あの細い道でございます。
聞いた話では、これはもう十数年ほど前のことらしいのですが……ある秋の夜半過ぎ、その道をひとりで歩いていた男の方がいたそうで。名前は存じません。ただ、奈良に詳しい方で、夜道も慣れているつもりだったと、後に誰かに語ったと聞いております。
その夜は月も出ておらず、足元を照らすのは自分の懐中電灯だけだったそうです。秋とはいえ底冷えのする夜で、草いきれもなく、ただ石畳の濡れた匂いだけがしていたとか。
その方が古い石垣の脇を過ぎようとしたとき……ふと、視界の端に何かが浮いているのが見えたそうです。
最初は遠くの家の灯りかと思ったと言います。しかし、灯りにしては低すぎる。地面から、そう、人の腰ほどの高さでしょうか。赤みを帯びた、橙色にも見える光の塊が、木の間にふわりと揺れていたそうです。
その方は足を止めて見ていたと。そのとき、光がこちらを向いた、と感じたそうです。向いた、というのは妙な言い方でございますね。でも、確かにそう言ったと聞いています。顔があるわけでも、目があるわけでもない。ただ、向いた、と。
それからゆっくり、ゆっくりと、こちらへ近づいてきたそうです。
走って逃げようとしたら、火の玉も速くなった。そう言っていたそうで。道を折れても、藪を抜けても、ずっと背後に赤い光がある。振り返るたびに、少し近くなっている。その方はひどく混乱して、気づけば道の脇にある小さな池の縁に立っていたそうです。
引き返せない、と思って……飛び込んだそうです。
十月の池です。どれほど冷たかったか。息が詰まるほどの冷たさだったと言います。水草が足に絡まり、底の泥が靴の中に入り込んで、それでも必死に水面から頭だけ出して息をしていたそうです。
そのとき聞こえてきたのが……ジャン、ジャン、という音だったと。
金属を打ち合わせるような、でも少し違う。何か固いものを、何か固いもので叩くような音。水面の上をその音が渡ってきて、止まって、また渡ってくる。その方は音がするたびに息を止め、水の中に沈んで、また浮かび上がって、を繰り返していたそうです。
どれほど時間が経ったか分からない。気づいたら空が白み始めていて、音もなくなっていた。光もなくなっていた。その方は震えながら池から上がって、足元も定まらぬままその場を離れたと聞いております。
……ただ、その方が後に気になって調べたところ、大安寺のあのあたりには昔から、葬送に関わる何かが埋められているという話があるそうで。それが何かは、わたくしには分かりかねます。
詳しい方は、あの音は金属の棺桶を叩く音ではないかと言うそうです。あるいは、自分が水の中にいることへの怒りを示していたのかもしれない、とも。
……確かなことは、何も申せません。
ただ、先月もあの道の近くで、赤い光を見たという方がいらっしゃいました。その方はまだ、夜になると眠れないそうで……。
どうか、夜は遠回りをなさいますよう。