蜃気楼
しんきろう
龍が吐いた息の中に、存在しない都市が立ち並ぶ。
古来より東洋では、海の底に潜む巨大な蜃——龍に似た怪物——が大気へと吐き出す幻の気息が、水平線の彼方に架空の楼閣や城郭を映し出すとされてきた。その名が蜃気楼。竜宮城や蓬莱山があの靄の中に潜んでいると囁かれ、吉兆の徴として恐れるよりも崇められた時代があったという。
物理的な説明はとうに存在する。冷気と暖気が重なる境界面で光が折れ曲がり、遠方の景色が伸び、逆さまになり、あるいは宙に浮く。科学はこれを「屈折」と呼ぶ。しかし水平線の向こうに現れる逆さの街並みを前にしたとき、人が感じる戦慄を、屈折という二文字で鎮めることができるだろうか。
北海道オホーツク海沿岸では、春の「海明け」の頃、遥か沖へ退いたはずの流氷が宙に浮かび上がるとされる。地元では「幻氷」あるいは「おばけ氷」と呼び慣わし、今も春の風物詩として語り継がれている。消えたはずのものが戻ってくる——その光景は、懐かしさと不安の両方を宿していると伝えられる。
砂漠では道なき道に水面が現れ、逃げ水として旅人の足を惑わせてきた。アスファルトの上に揺れる湖もまた、同じ光の詐術だとされる。存在しないものへ向かって歩き続けた者がどれほどいたか、記録は語らない。
蜃気楼が映し出すものは、「遠くにある実在」の歪んだ投影にすぎないと科学は言う。だがその「実在」が、光の届く距離に本当に存在するのかどうかを、見た者が確かめた例はほとんどないとも言われている。
龍の吐息か、大気の気まぐれか——水平線に滲む逆さの都市が何を映しているのか、それは今もって誰も断言できないままだ。
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Source: 蜃気楼 — Wikipedia (ja.wikipedia.org). Adapted and reconstructed by this site. License CC BY-SA 4.0.